今日は草原に出かけたら、もう蚊に刺されてしまいました。そんな季節なんですね。これからは日焼け対策と虫対策をしっかりしていこうと思います。
さて、今日は金曜日。不登校や引きこもりについて、また少し綴ってみようと思います。
今は、16歳の引きこもりの息子と2人で暮らしています。息子は家で過ごしており、学校には通っていません。そのため、学校関連の行事や役員などのお付き合いは一切なく、ある意味で「フリー」な生活を送っています。
長女は専門学校まで、次女は高校を中退するまで、長男も中学2年までは学校に通っていました。その頃はPTAやクラス役員、地区の役員など、いろいろと引き受けていました。お誘いでお引き受けしたこともあれば、くじ引きで突然電話がかかってきて…ということも。学校に通っている以上「はいはい」と引き受けて、1年間頑張って活動していました。
長男が中学3年で不登校になったとき、「もう学校には行かない」と本人がはっきり決めたので、学校には在籍しながらもクラスの名簿には載せないという形をとりました。役員の依頼もなく、行事の班分けにも入らずに済みました。これは、不登校の親の会で「そういう方法もある」と知り、校長先生にお願いして対応していただいた結果です。
名簿から突然名前が消えたので、不思議に思った同級生もいたようですが、みんなそれぞれ忙しくしていて、次第にそのままになっていきました。
そのとき、校長先生からは「また登校したくなった時に困りますよ」とも言われました。でも、息子の「絶対に行かない」という強い意思を感じたので、私も腹をくくってその道を選びました。今振り返ってみても、それで良かったと思っています。
色々なわずらわしさからも解放されましたし、もし当時、自分の子どもが不登校なのに自分は役員として学校に通っていたとしたら、きっとそれはそれでしんどかっただろうなと感じます。
ただ、不登校の親の会では「不登校だからこそ役員をやる」という方の話も聞きました。学校とのつながりを持っておくためだそうです。それも一理あるなと思いましたが、私自身はその時はとてもそんな気持ちにはなれませんでした。
本当に人それぞれ、いろんなやり方がありますよね。今日は、そんな当時のことをふと思い出して、書き留めてみました。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。